Maiのリアルエッセイ
Find Me In the Dark
—— あの頃子供だった私たちへ——
前回までのストーリー
Episode3.
一つ屋根の下
私が5歳だった頃のこと。
当時流行っていた、アニメキャラクターの変身グッズを買ってもらった私は
それをとても大事にしていた。
コンパクトの形で、真ん中の部分に指を触れると、ピコピコと音が鳴るヤツだ。
それを鳴らしても、自分が変身しないことは理解していたが
子供の想像力は、そんな単純なものではない。
幼い私は、それをキャッシュレジスターに見立てて
部屋の中にあった数々な物を並べ
その一つ一つに、セロハンテープで作ったお手製のバーコードを貼り
そのバーコードをコンパクトに当てて、ピコピコと音をさせながら
一人でお店やさんごっこに夢中になっていた。
その頃の私の理解では
どういうわけか、母は電池を買ったり取り替えたりすることに非常に腰が重い人だった。
というわけで
そのコンパクトを使ってお店屋さんごっこができるのは
今使っている電池が切れるまでの、期限付きのものであると
それが切れたら、いくら言っても彼女は何もしてくれないだろうと思っていた。
だから尚更、私はそのコンパクトを大事にしていたのだ。
そんなある時、私が部屋にいると
隣の部屋から、あのコンパクトの音がする。
ピコピコ
ピコピコ
ピコピコ
何度も何度も繰り返し鳴らされるその音を聞いて、私はすぐさまその場に駆けつけた。
すると、歳の離れた姉二人と母がグルになって、私のコンパクトを鳴らし続けている。
やめてよ!私のなんだから!
そんなことをしたら、コンパクトは使えなくなってしまう。
もうあのお店屋さんごっこができなくなってしまう。
私は必死に訴えたが、彼女たちはそんな私を見て笑い転げ
私の手の届かない所で、コンパクトを鳴らし続ける。
ピコピコ
ピコピコ
ピコピコ
訴えを聞いてもらえない私はついに泣き出したが
母と姉は私が泣くのを面白がり、笑い転げ
執拗に悪ふざけを続けるばかりだった。
私の育った家では、一番幼かった私が感情的になると
それをからかわれ、笑われ、バカにされるのが常だった。
それは私の成長と共に、段々とひどくなり
投げかけられる言葉も、悪意を帯びてくるようになった。
何年もの間執拗に繰り返される、まるでいじめのような言葉に傷つき
怒り、泣くことに耐えられなくなった私は
小学6年生だったある日、その気持ちを母に伝えることを思い立った。
かんしゃく持ちだった母への怯えから、絶対服従を守っていた私は
母の言動に対し、自分が意見することなど想像もつかず
気持ちを伝える、という行為はとても勇気がいることだった。
どう伝えたらいいんだろう?
母は私の話を聞いてくれるだろうか?
もしかしたら優しい言葉をかけてくれるかもしれない、
という淡い期待をかすかに抱きつつ
心臓をドキドキとさせながら、意を決して2階にいる母の元に向かった。
黙々と洗濯物をたたんでいる母を目の前にして
緊張のあまり、一瞬その場に立ちすくんだが
やっと小さな声を振り絞った。
「あんな風に言われるの、本当は傷ついてるんだよ」
今の私が理解しているのは
母にとってのたわいもない言葉は、子供の私にとっては苦痛だったこと。
「からかい」は幼い私にとっては自分を辱める言葉であり
心のどこかに残っていたその傷跡は、大人になった後も
周囲の誰かが似たような言葉を言う度に、無意識に蘇り
感情的な反応として現れ、子供の頃の痛みを繰り返し味わうことになったのでした。
人の感情に”大げさ”はない。
周囲からしたらまるで”子供のように”見える、感情的な反応は 本人にとっては 本当に感じている痛みなのです。
Zakopane, Poland
に続きます。
勇気を出して母に自分の気持ちを伝えた私への、母の反応
無意識のブロックを外し、自分の『やりたい』を見つけ
思いっきり輝くわたしであるために。
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