私は以前、自分をかわいそうと思う事を、徹底的に拒否していた。そして被害者意識を持つ人が面倒くさくて、極力接触を避けていた。
なぜなら「子供のために自分を犠牲にした私の人生は惨めでかわいそうだ」という悲痛なメッセージを、幼い時から聞かされて育ったからだ。
不幸せの原因を押し付けられた子供の私は彼女の痛みを理解する事も出来ず、あまりのプレッシャーと理不尽さに、そのメッセージに強い嫌悪感を抱くようになった。
そしていつからか、「自分を哀れむなんて、私は絶対にしない」というポリシーのようなものを持つようになった。
家庭内の様子を察した先生や友人のお母さんが私に同情して、かわいそうに、大きくなったら自由になりなさい、と涙を流してくれた事は何度かあったが、私はそう言われてもその気持ちを受け取らなかった。
私は絶対に「かわいそうな人」じゃない、と突っぱねた。
インテグレーティッド・ヒーリング や色んなインナーセルフのワークを通して、私はあの頃の自分が何をしていたのかを、ようやく理解している。
私が突っぱねて、放棄していたのは、「悲しい」というそのシンプルな自分の感情を、自分で受け入れる事だった。
インテグレーティッド・ヒーリング のクラスの中で、インナーチャイルドを癒すプロトコルをクラスメイトから受けた時、私は初めて自分の痛みに心から涙を流した。
嗚咽が止まらないほど、体中のどこにこんなに溜めていたんだろうと思う位の悲しみを感じる事を、自分に許した。
それは自分への哀れみから流れた涙ではなく、愛だった。
私は惨めでいたくない、強くありたいという思いから、自分の悲しみを許さなかった当時の私に、今は心から愛を送ることができる。
その大きな、真っ暗な穴のように存在する悲しみを感じることは、当時の私にとっては恐怖だったのだ。その闇に入ってしまったらもう出られないかもしれない、自分は正気を失ってしまうかもしれない、と必死にその崖っぷちに捕まって、避けていた。
でも勇気を持ってその闇に入ってみたら、そこにはただ愛を必要とする、幼い私がいた。
ごめん。
ごめんね、ずっとそこにいたのに。
悲しかったよね。寂しかったよね。
愛してる。
そう何度も繰り返して、インナーチャイルドを癒していった。
自分をかわいそうだと哀れむ事と、愛する事は違う。
自分を哀れむ事は、自分を被害者の立場に居続けさせる事であり、それは自分が無力である、と自らの力を投げ捨てる事だ。
自分を愛する事は、自分の悲しみに心から寄り添い、受け入れ、愛をもって癒していく事だ。それは自らの力を取り戻させる事であり、自分への信頼だ。
被害者の立場になってしまう事や、苦しい気持ちに飲み込まれてしまう事は、些細な事から大きな事まで、人生の中で誰もが経験すると思う。
その時誰かの手を借りて、愛を受け取るのもとても大切な事。
人は完全に一人で生きるようには創られていない。
そして他者からの愛だけで満たされるようにも創られてはいない。
最後には、自分への愛という神聖な場所に還っていく。
そしてそれができるのは、自分だけだ。
誰かからの謝罪でも、失ったものへの保証でもない。
その時愛とは、愛以外の全てを塗り替えるほどにパワフルであることを、私たちは知る。
そしてその工程は、私の場合はいくつものレイヤーを通して、ゆっくりと愛で塗り替えていった。一瞬でフワッと軽くなる人ももちろんいるだろう。
自分はどうしてこんなにゆっくりなのかとウンザリした事もあったけど・・・
でも、常に一歩ずつ進んだ。
これを読んで下さっている方が、もし何かの感情にブレーキをかけていることがあったら、勇気をもって、感じてみて下さい。
それは怖いものではなく、ただ愛を必要とする、あなたの一部です。
あなたのインナーチャイルドが、愛によって、癒されていきますように!
I see beautiful You.
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